ちょっと古いクルマたち。ノスタルジア。 サイト制作者自身が取材、入手した写真を中心に、試乗記や紹介をしています。今では珍しい少し古い自動車を題材にしたWebサイトです。

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    【プロフィール】サイト制作者の車暦紹介

    2011/08/16 19:51|ごあいさつTB:0CM:0
    スズキ・フロンテ72・GD-W(1972)【番外編】
    Nostalgia-Cars制作者の車暦プロフィール

    12年余り、Webサイトを創って来て、まともにプロフィール的なものを書いたことが無いのですが、夏休みのきまぐれで車暦を作ってみましたので、特に同年代の昭和40年代生まれの方など、懐かしんで箸休めに見ていただけると幸いです。

    (スズキ・フロンテ72・・・親父が乗っていた2サイクル直列3気筒360ccエンジンの軽自動車でした。当時「スティングレースタイル」と云う売り文句でした。)




    ホンダ・DJ-1・R・グランプリスペシャルエディション(1987)ホンダ・DJ-1R
    わたしが買った初めてのエンジン付き乗り物。ホンダが第二期F1プロジェクトで、遂に世界チャンピオンを手に入れたのを記念して発売された特別仕様車。
    ウイリアムズ・ホンダF1カラーになっていました。
    この後、スクーターレースに出場してせっかくの外装は傷だらけに。モータースポーツの入り口でもありました。

    この写真、まさに珍しいクルマの「取材中」でした。原付を手に入れたクルマオタクのカメラ小僧が西へ東へ奔走していた17歳の夏。


    ホンダ・MTX50R(1987)ホンダ・MTX50R
    中学の時の同級生が乗っていたMTXに憧れて中古を手に入れた自身初のミッション50。
    とにかく神戸の海を見に行くのが好きで、休日やバイトが終わったらしょっちゅう行っていました。
    その後、林道ツーリングや河川敷モトクロスごっこなどでこき使いましたが、このバイクでそれなりにスライドやバランス感覚を養えたと思います。
    最後は、エンデューロレースのエントリーに名阪に向っていた最中に峠でクルマと正面衝突して終了。
    その後、学校の友人に引き取られていきました。


    ホンダ・CBR250R・Hurricane(1987)ホンダ・CBR250R・ハリケーン
    思い出深いハリケーン1型。レーサーレプリカブームの中で一線を画す個性的で美しい曲線美のバイクでした。
    エンジンもクルマオタクには堪らない、水冷直列4気筒DOHC16バルブ。18,000rpmやカムギアトレーンには興味が無くて、中回転域のDOHCらしい「ギューン」と云うエンジン音が大好きでした。
    フェラーリやアルファロメオのステッカーと、4valveでは無く敢えて「quattorovalvole」と云うステッカーを創って貼ったり、頭の中はクルマでした。ダブルシートと外品のタンデムグリップはツーリング仕様への憧れ。
    しかし軟派なノリには馴染めなくて、タンデムステップは外しているというコダワリもありました。
    このまま行っていれば大人しくツーリングライダー人生だったはずなのですが、運転を習った先輩がレーシングライダーだったので、その後長いわき道に反れてしまいます。


    スズキ・RGV250γ・全日本選手権ワークスカラー(1989)スズキ・RGV250ガンマ
    大きな脇道の第一歩。大好きなCBRを売ってしまってコイツを手に入れたのが人生の転機だった気がします。いま思えば運転技術が向上したので通ってよかった道ではあるけれど、命の保証も無かった時代でした。よく生きてたと今でも思う。あえてNSRに行かなかったのは、先輩の影響と友人の乗るこのモデルのハンドリングが気に入ってしまった為。今も変りませんが周囲にも時代にも思いっきり流されてます。
    もちろん運転技術はたくさん学べました。そして鈴鹿SP250レース出場を目指して、修学旅行をキャンセルして積立金の返還でセミレーシングタイヤを買ってサーキットへ。1回目の練習走行でハイサイドで人間だけ10m程ぶっ飛んで行きました。全治一ヶ月とローンを残して手放し、再び大人しくなります。
    中学時代の友人たちに連れて行ってもらった九州ツーリングの旅が一番の思い出でした。


    ヤマハ・SRX-4(1987)ヤマハ・SRX-4
    自分の性格は、今振り返っても解り易いと云うか、見切りの良さは一目瞭然。でも根本的に足元がフラ付いてます。
    再び本来の脚本に戻そうと悪あがきして選んだはじめての400cc。
    足回りはホワイトパワーと云うしなやかなレーシングサスペンションに換装して、気持ちのいいハンドリングマシンでした。バイクが18万で、足回りが15万。やはりこの時から金銭感覚がおかしいです。
    これで気持ちよくバイクの旅人に成れると思ってはいたが、まだまだ若い半端者の血が騒ぎ、竜神ツーリングでFZR1000やNSR250とおっかけっこした末、翌日の通勤でエンジンが焼きついて終了。
    その後は、写真を一枚も撮っていないのですが、VFR400R(NC24)のボロを2個イチして乗っていました。
    写真は、今は亡き、筋ジス障害を持った先輩を乗せてツーリングに行こうと画策した時のもの。


    トヨタ・スターレット・4ドアDX(1983)クルマオタクの癖に、バイクの面白さに目覚め、クルマの免許を取ったのは21歳でした。駐車場を借りる金も無かったし、親父のスターレットを乗り回していました。
    DXと云う商業グレードに八幡のポンコツ街道で仕入れたSiの大型バンパーやSEグレードの内装に換装やメーター、最後はTS仕様のルーフスポイラーまで装着していました。
    学校の後輩にそそのかされて、河川敷で一晩中ドリフトごっこをしてたらエンジンマウントがちぎれ、バルブも曲がって敢え無く終了。
    当時AE86が7,800rpmまで回ると雑誌で読んで、KP61がOHVとは知らずに7,000rpmまで回しまくっていました。若いとはいえ、ホントあほの極みです。


    日産・プリメーラ・Te(HP10-1990)日産・プリメーラ・Te
    ガタガタのKP61に替わって、親父と共同購入でサニー1.8GTSを新車で買おうと画策するが、日産で働いていた友人の勧めで新古車のプリメーラTeが手に入りました。初めてのAT車、最上級グレード、スポーツセダン、どれも憧れでしたが、ヨーロピアンなコンセプトの固い足回りや黒に赤いステッチの内装がとてもお気に入りでした。
    ただ、SR20エンジンは低回転がすっかすかで、ATとの相性が悪く、せっかくのDOHC2,000ccはあまり楽しくなかったのと、意外とボディ剛性がヤワだったことに失望もありました。やっぱオペル・べクトラの中古にすればよかったと、後で人のオペルに乗って後悔。それでも周囲のウケがとてもよくてお気に入りでした。このクルマでは、ホントよく旅をしたなぁ。


    日産・マーチ・プロダクションレース仕様(K10-1994)産・マーチ・プロダクションレース仕様
    さて、一方で地獄の1丁目はまだ続いていて、今度は4輪レースに進出。バイク事故で亡くなった友人の代わりにプロダクションカーレースの手伝いを始めたのがきっかけで、1994年から始まるTIサーキット(現・岡山国際)のJAF公式戦「日産マーチレース」で上位を狙って、四国で勝っていた友人のマシンを購入。丁度TIでF1があって、その翌レースでアイルトン・セナが無くなった年でした。ポテンザカラーでかっこよかったけど、予選のスリップストリームの使い方、アンダーステア、FFのレーシングスタートなど何も判らずで1回だけ出場したレースは12位(後ろから3番目)。
    この1戦だけに出場して、あとはバラ売りしました。ビルシュタインの倒立サスと云う、当時珍しかった足回りが入っていて、マシンはまぁまぁよかったと思います。腕が・・・。
    それでもクルマの整備的なものと、4輪でのスライド感覚は、それなりに勉強できたと思います。


    ヤマハ・RD50(年式不明)ヤマハ・RD50
    この頃は、馴染みのバイク屋さんの裏に転がっている下取り車を現状渡しで5千円ぐらいで引き取ってきて、直して乗っていました。多いときはバイクを6,7台持っていたことも。TZR250やCBR250R(先輩のプロダクションレース車を待ち乗りに戻して)も乗っていました。
    このRD50は、仕事場の先輩がたこ焼き1皿と交換してくれたもの。友人に貰ったNS50用のメッシュホースやマスターシリンダーなどでちょっとだけ改造して乗っていました。古きよきミニカフェレーサーと云う感じで、性能よりも乗り味を楽しめるバイクでした。実家の共同駐輪場にしばらく乗らずに置いてたらいつの間にか無くなっていました。


    スズキ・GN80E(年式不明)スズキ・GN80E
    これは当時でもかなりレアな80ccでした。スズキの試乗会に乗って行ったら、二輪販売の人が「これ新車のとき、この地区で3台しか売れなかったバイクや。」と驚いていました。ちなみに「この地区」の人口合計は100万人近かったはずですが・・・。
    この前にヤマハ・RX50スペシャルに乗っていたら、バイク屋の人が「それより走るやつが下取りで入ってきたよ。」と云うので試乗したら、ウイリーするほどの爆発トルクで即時購入。2サイクル80cc(RG80Eのエンジンと共通)で、トノサマポジションだから、そらウイリーするわぃと思ったものです。このとても痛快なアメリカンは、通勤からツーリング、峠あそびまで、ボロボロになるまで乗り続けました。オフロードまで走ったなぁ。最後は先輩に譲ったと思います。


    マツダ・RX-7・アンフィニ3(FC3S-1990)マツダ・RX-7・アンフィニ3
    この前に、スズキ・DR125に新車で乗っていますが、当時の彼女に譲って、次に買ったのがこのRX-7でした。
    しばらく、クルマに乗っていなくて、仕事ばかりしていたらいつのまにかこのクルマを買うお金が溜まってたと云う具合でした。限定車アンフィニの3型で、ジュラルミンボンネット、足回り、215馬力エンジン、純正BBS、専用バケットシート、2シーター専用、軽量化カーペットなどに加え、K&Nのフィルターと5ZIGENキャノンボールマフラーでライトチューンしてあり、エンジンも絶好調で、2年足らずでしたがとても楽しいスポーツカー生活を過ごしていましたが、いろんなことが重なって人生の大転換期を迎え、手放しました。独身最後の、そして楽しかった想い出だらけのアンフィニ3との日々でした。



    スズキ・ボルティ・250(年式不明)スズキ・ボルティ・250
    こうやって歴代の愛車を並べると、大人しいのと過激なのがほぼ交互に出てきますね。幼馴染の彼女に売ってもらった250シングルバイク、ボルティ250、良い意味でも悪い意味でもよく出来た21世紀のバイクでした。これはこれでカスタムとかも楽しめるのでしょうけどね。とても乗りやすくてメンテナンスフリーですが、昭和のバイクのような、特にシングルらしい癖や味わいが無いのが物足りなくて、1年足らずで昭和の50ccスクーターと交換してしまいました。


    ホンダ・シティ・ターボ2・ブルドッグ(AA-1983)ホンダ・シティ・ターボ2・"ブルドッグ"
    これが悪魔のささやき第二弾。モータースポーツ熱が一段落したと思ったら、昭和のボーイズレーサーを買って、改造やらカスタマイズやらやりたい放題の3年半でした。憧れの「オーナーズクラブ」も経験し、シティ絡みで北海道やらモテギやら箱根やら名古屋やら広島やら、とにかく家族で日本中を旅した想い出のクルマです。収入面でもバブリーで最盛期だったなぁ。このクルマが名刺代わりになり、旧車の知り合いや友人、常連のお店など、たくさん出来ました。それがこのサイトの基礎を創った云う繋がりです。20代の青春がレースなら30代の青春を謳歌したクルマでした。最後はやはり、足周りに手を入れ、ボディを改造して直巻きばねと車高調整を特注してまたもやコーナリングマシンにして楽しみました。様々なグレードのパーツを中心に組み合わせた奇抜な外装のチューンは、オーナーズクラブの面々に「キメラ号」と云う愛称までいただきました。ありがとうホンダ・シティ。と云いたい想い出深いクルマ。


    ホンダ・シティ・ターボ2・ブルドッグ(AA-1983)【模型】ホンダ・シティ・ターボ2・"キメラ号レプリカ"
    シティ・オーナーズクラブの方々には、ほんとに良くして頂いていて、シティを手放す際には、ある方からこのようにわたしのブルドッグの改造箇所をすべて網羅した、本物そっくりの模型を頂きました。
    その後、全国に散らばるクラブの方々にはお礼の挨拶も出来ずじまいでしたし、このモデルを製作してくださった方にもちゃんとお礼が出来なかったので、今ここに紹介させていただきます。ありがとうございました。


    ホンダ・モトコンポ(AB12-1982)ホンダ・モトコンポ
    ホンダ・シティと云えば、モトコンポ。シティに乗っているだけであちこちから声が掛かり、一時は黄色ばかり3台所有していました。もはや都会では、まともに使えない程貧弱な動力性能ですが、トランクに積んで箱根の広場をうろうろしたのは結構想い出になっています。家の門を乗ったまま通り抜けられるスマートさも町内にタバコを買いに行くには丁度良いバイクでした。機械構造が単純でレストアも簡単でした。一番程度の良かった一台は、友人による厳冬の宗谷岬への冒険旅行の足として大活躍し、3台とも友人の冒険旅行20周年のプレゼントとしました。


    スズキ・GN125E(年式不明)スズキ・GN125E
    GNの感動を再び。21世紀に入っても中国製のGN125Hと云うまんまこのバイクがあるようですが、わたしのEは80年代?国産物でした。4サイクル単気筒でしたがGNの名に恥じない中低速トルクで、昭和の味を残したシングルでしたが、ノーマルのファイナルで120km/hぐらいまで引っ張れる動力性能も持っていました。バイパスを毎日ハイスピードで通勤していたら、振動でフレームやらあちこちのネジが緩み、しまいにはマフラーが腹下で真っ二つに折れて(しかも信号で白バイの横に並んだ時に気がついた!)、友人に譲りました。とても地味なバイクですが、今でも想い出に残る125ccの名機です。


    ヤマハ・CZ125(年式不明)ヤマハ・CZ125
    シティ・ターボでやりたい放題のモータリングライフを送っているさ中、友人に譲ってもらったのがこのCZ125。「スクーターのRZ」は、YZと共通のピストンだったらしいですが、通勤快速で3ヶ月程活躍した後、メインハーネスのショートにより、意外と短命に終わってしまいました。キックが無いバイクは故障に弱いと云うのがよく判りました。
    古いので加速が悪くなると40km/hぐらいまではどうしようもなく遅いバイクでしたが、パワーバンドに入ると一気に100km/hオーバーまでロケット加速と云う印象の古きよき2サイクルの癖を残す珍しいスクーターでした。
    そろそろビッグスクーターブームだったので、信号待ちで「これどこの国のスクーターですか?」と、アプリリアあたりのオーナーからよく声を掛けられました。「日本製のヤマハですよ。」と答えるのがちょっと嬉しかったりして。


    ホンダ・スペーシー50(1982)ホンダ・スペーシー50
    上記のボルティと交換したのが、このコンクールコンディションだったスペーシー50。まさに80年代マニア垂涎の一台と言える代物で、4サイクルエンジン、液晶デジタルメーター、スクリーンには電動ワイパー装備と云う、2輪の50ccカー、または「テクノ原チャリ」と呼びたい一台。
    長年、ご老人の足だった為、エンジンの回りが悪く、しかも自動で2速に入るのが遅く、レッドゾーンまで引っ張ってから初めて2速に入るような発進加速に問題を抱えていました。
    大寒の2月に、これで大阪から名古屋まで友人を訪ねて行った時の一枚。向こうの600ccに乗るツアラーの友人曰く「ホントにこれで名四(R23号)走ってみえたんですか?」と驚かせたのがちょっと自慢。
    最後はエンジンが焼きついてしまい、友人のスペーシー80の部品取りに譲りました。


    ホンダ・シティ・E(1982)ホンダ・シティ・E
    シティ・ターボ2・ブルドッグの改造に、心酔して3年目。ノーマルのシティが欲しくなって、たまたま頂いたのがこのエコノミーバージョンのE。ホンダマチック車で、嫁さんにと入手したのですが、恐らく最後の日本製手動チョーク式乗用車で、コールドスタートの始動のコツが難しく、2回ほどしか乗って貰えませんでした。ただ、ブルドッグと2台、夫婦でクラシックカーイベントに出展して特別賞も頂きました。車重が600kg台と驚異的に軽く(ゼロ戦の原理)で、長い一人旅をしたときには、リッター23kmを記録するエコカーでした。コンクールコンディションの極上車だったので、10年は乗れそうだったのですが、ある日突然醒めたシティ熱と共に、マニアの方にレストアベースに引き取られて行きました。


    ホンダ・ストリーム・50(年式不明)ホンダ・ストリーム・50
    こちらもシティ熱の延長で手に入れたミスター80年代の原チャリ、ストリーム50(クルマと混同しないために50と表記しています。)
    こちらはデジタルな文字のアナログメーターでしたが、スクリーンワイパー装備、フロントトランクルーム、リヤのシトローエン風タイヤカバーと、ヘリカル型ではないギアを使っていたのか、シーケンシャルミッションのレース車のような「ヒィーン」と云うギア音が未来バイクの雰囲気満点でした。
    新車の時から、馴染みのバイク屋さんの代車として活躍して居たので、思いでもある一台でした。
    その後、友人に譲り、友人を通じて、マニアの方が今も持っておられるようです。


    ヤマハ・DT50ヤマハ・DT50
    CBR250、SRX-4と共に、今もう一度欲しい一台に入るのがこのDT50。馴染みのバイク屋あさんにあったのですが、全身を黒のペンキで刷毛塗りしてあり、実走3,500kmでしたが5,000円でした。その後、お店のデッドストックだった謎のファイナルギアに交換してあり、買ったときからマフラーの芯が無くて、それに合わせて吸気もチューンしてあるので、100km/h巡航も普通にこなせる動力性能を持っていましたから、中距離ツーリングもバイパス道の通勤も余裕でこなせました。外装は後期モデルのものに交換し、タンクはウレタン塗装で塗ってもらいました。
    2サイクル50らしい癖も残っていて、とても楽しいバイクでした。


    カワサキ・GPZ400R・スペシャルエディション(年式不明)カワサキ・GPZ400R・スペシャルエディション
    こちらは、今も乗り物でお世話になっている友人が入手したコンクールコンディションのGPZに一目惚れして譲ってもらいました。
    初めてのカワサキ車でしたが、エンジンの音など、カワサキ車の人気が判る一台でした。ちなみにスペシャルエディションだったようで、珍しい黒とガンメタと云う、初恋のCBR250Rによく似た色だったのも縁を感じました。
    車検とキャブレターO/Hで12万程かけて半年乗り回しましたが、既に人間の方が重めの400ccに対応できず、通勤中にUターンで立ちゴケしたのがショックで、すぐに売ってしまいましたが、そろそろ収入面でもバブルが終わりかけていた時期だったので、ある意味ターニングポイントだったのかもしれません。今でも見かけるとドキッとするぐらい気に入っている一台です。


    【番外】なかたに塾EXEDY制動屋写楽EG6【番外編】ホンダ・シビック・SiR・競技車両
    自分のクルマでは無いので番外編。
    友人がオーナーのチームを手伝っていたら、このクルマでマーチ以来の実に12年ぶりにレースに出させてもらいました。アマチュアの3時間耐久レースでしたが、本気で体からメンタルからのトレーニングを1ヶ月余りやって体重も3キロ程落として挑みました。一緒に組んだのが鈴鹿のチャンピオン経験者二人だったので、2回とも6位以内に入賞し、わたしのモータースポーツの締めくくりとなった2008年のレースではクラス2位で表彰台にも上がれました。
    結果は、おもいっきりおんぶに抱っこですが、お陰でバイクから足掛け21年、なかなか離れられなかったレースをいい想い出を残してキッパリ辞めることが出来ました。感謝!


    日産・セドリック・ブライダルセダン・Bタイプ(1992)日産・セドリック・ブライダルセダン・Bタイプ
    タクシードライバーだった父親へのオマージュ全開で手に入れたのがLPG車のセドリック。福山市のアケボノコーポレーションさんで、内外装共に文字通りピカピカに再生されたタクシー再生品を買いました。そして、見に行った時にたまたま入庫していた後ろ1枚がガルウイング状の屋根になっているブライダルセダンに一目惚れして買いました。
    ベンコラ、4段マニュアル、(手動機械式)自動ドア、買ってから6万キロ余り、文字通りトラブルフリーで、静かで家族ウケも良い、環境にもお財布にもとてもエコロジーなクルマで、友人の名言、「もぅこれ乗ったらクルマ上がりやなぁ。」が一番ピッタリ来ると思う、一生乗れそうな一台です。


    ホンダ・ベンリィ・CD125T(1992)ホンダ・ベンリィ・CD125T
    セドリックLPGセダンが「クルマ上がり」なら、こちらは「バイク上がり」の最後に乗るバイクにピッタリ。ベンリィ125。
    OHC4サイクル2気筒と云うエンジンと、左右出しのデュアルマフラーに一目惚れして長年狙っていたバイクでした。
    実は、レーサーレプリカブームや周囲に流されなければ、十代の頃から欲しかった、わたしの理想のバイクでした。
    「クルマのような直列エンジンで、しなやかな乗り心地、60km/hで等速直線運動をすることに苦痛を感じない、燃費が良くて、造りがシンプルでメンテナンスしやすい。」
    ツアラーの一つの完成形と捉えていたのでした。大きいバイクだとFJ1100や1200あたりが好きでした。
    形は、憧れのバイク「Kawasaki Z1000 Police」に意外と似ていると勝手に思い込んで、CB400のヘッドライト、GX400のウインカー、トラックの作業灯や汎用のスクリーンなどを自作ステーで取り付けてそれっぽくし、友人にヤフオクで落としてもらった旭風防製のサイドボックスで仕上げました。


    と、【番外編】としてNostalgia-Cars制作者の車暦プロフィールをご紹介させていただきました。
    今まではプロフィールで自己主張するのに抵抗がありましたが、わたし自身が、最近Webで人の車暦を見たりするのが結構好きなので、案外こんなのを読む人が居るのかもと思ったり、「自分自身を振り返るコーナー」的に書いていて面白かったり、友人へ向けて書いている部分もあったりで、創る側は存分に楽しい作業となりました。

    考えると、わたしも原付の免許を取ってから数えると20年を過ぎているわけで、80年代後半から21世紀までの日本のちょっと貧乏でマニアックな人間が乗った乗り物を通じて、各々方で当時を懐かしむもよし、時代の流れを感じるもよしで、お楽しみいただけたら幸いでございます。

    ・・・と、云ってもこうして編集し終わってみると、ほとんどが80年代の乗り物じゃん!
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